第二部 16 青春のドン・キホーテ

この章では孫さんが大学卒業するところから始まります。

 

アメリカの一流大学といえばハーバード、イェール、UCバークレーと言われていますが、孫さんはバークレーを卒業した後、ハーバード、マサチューセッツ工科大、母校の大学院から学費免除の条件付きで勧誘を受けます。

しかし、孫さんは研究したいのではなく一刻も早くビジネスがしたかったので

その誘いを全て断り日本に戻ります。

 

日本に戻った孫さんは会社を設立するための事務所をかまえ、ユニソンワールドという社名で会社を設立します。

そして、代表者名に韓国名である「孫正義」と記したところ、親戚から猛反対を受けます。

当時の日本では在日韓国人への陰湿な差別があり、韓国名を名乗ってビジネスをすることは日本では不利だったのです。

ただ、アメリカの自由な空気に慣れてしまった孫さんはそんなことおかまいなしにこの日本でこそ韓国人の名で生きて行くことを決意します。

 

会社を興し、事業のアイデアを基にいろいろ計画を立て、社員とアルバイトを1人ずつ雇います。

そんな中で長女が産まれます。

はじめての子どもを得た喜びが孫さんのエネルギーになり、「何かやるぞ」と思いますが、

決まっておらず、当時収入はゼロでした。

 

アメリカでいくらビジネスに成功していて、優秀な大学を出ても、日本に帰ってすぐにビジネスが上手くいくわけではないということが改めて分かりました。

現代の若者は、安定志向で結婚して子供が産まれると会社に勤める人がほぼほぼだと思いますが、孫さんは結婚して子供がいるにも関わらず、収入が安定しなくても自分のやりたいことに突き進んで、その孫さんを見守る奥さんも素晴らしいと思いました。