第一部 11正義の誇り

孫さんの父は、つねに正義であれと願って、「正義」と名付け、この名前には親の期待が込められていました。

父は、物事にこだわらず、いつも明るく、他人とは違う生き方をすることに価値を見出していたが、これが孫さんに大きな影響を与えました。

 

ここで少年の頃の話に戻りますが、

日本人ではないという部分で幼稚園でいじめられたことで、どうして日本人の前で韓国のことを誇りに思ってはいけないのかという疑問を持ちます。

そして、そのことはけっして口に出してはいけないのだと自分に言い聞かせ、それは、差別の痛みと同時に、幼い孫少年のけなげさ、また強烈な自意識であると思います。

 

小学生になり、孫少年の担任の先生はクラスのグループごとに目標を達成する班教育に力を入れており、その影響から孫少年は小学生の先生になりたいと思うようになります。

ただ、公務員は日本国籍でないとなれないことを父が説明しても、孫少年は納得できませんでした。

そして、小学校のクラスで通信ノート交換があり、小学6年生ながら孫少年は、原爆、黒人差別、大虐殺を取り上げました。

 

「友情を大切にし、差別を憎んでいた。こういう少年だったからこそ、正義は明るく穏やかで、多くの友人たちに好かれていた。」

と書かれていますが、

孫少年は幼稚園の頃に自分が差別にあったからこそ、人に対して優しく穏やかに接することができたのではないかと考えます。