第一部 12 あこがれ

この章では孫少年の中学時代について書かれています。

二学期になり、孫一家は少年のために教育レベルの高い学校のある福岡市に転居し、名門中学校に転校しました。

もともとサッカーをやっていた孫少年ですが、この中学校にサッカー部がなかったため、剣道部に入部します。

 

剣道に真剣に向き合う姿や、教師相手に正々堂々と自分の意見を主張する姿、また不良少年から女子生徒を守ることから孫少年は男女共に人気がありました。

 

転校する前と後で成績が落ちてしまったことで、立て直そうと思った孫少年はレベルの高い塾に入学し、みるみるうちに成績を上げます。

 

また、卒業間際になり、友人と遊んでいるときに、ついに自分が韓国人であることを打ち明けます。

 

韓国人ということを隠して生活していた孫少年が本当のことを言うことで「仲が壊れてしまうかもしれない」という不安があったにも関わらず、友人に打ち明けたのはかなり勇気のいることだったと思います。

また、孫少年は博多弁をからかわれてもにこにこ笑っていたり、教師相手に正々堂々と意見を主張したりと、周りから尊敬され、愛される理由に納得しました。

 

第一部 11正義の誇り

孫さんの父は、つねに正義であれと願って、「正義」と名付け、この名前には親の期待が込められていました。

父は、物事にこだわらず、いつも明るく、他人とは違う生き方をすることに価値を見出していたが、これが孫さんに大きな影響を与えました。

 

ここで少年の頃の話に戻りますが、

日本人ではないという部分で幼稚園でいじめられたことで、どうして日本人の前で韓国のことを誇りに思ってはいけないのかという疑問を持ちます。

そして、そのことはけっして口に出してはいけないのだと自分に言い聞かせ、それは、差別の痛みと同時に、幼い孫少年のけなげさ、また強烈な自意識であると思います。

 

小学生になり、孫少年の担任の先生はクラスのグループごとに目標を達成する班教育に力を入れており、その影響から孫少年は小学生の先生になりたいと思うようになります。

ただ、公務員は日本国籍でないとなれないことを父が説明しても、孫少年は納得できませんでした。

そして、小学校のクラスで通信ノート交換があり、小学6年生ながら孫少年は、原爆、黒人差別、大虐殺を取り上げました。

 

「友情を大切にし、差別を憎んでいた。こういう少年だったからこそ、正義は明るく穏やかで、多くの友人たちに好かれていた。」

と書かれていますが、

孫少年は幼稚園の頃に自分が差別にあったからこそ、人に対して優しく穏やかに接することができたのではないかと考えます。

第一部 10 契約成立

 

音声付き電子翻訳機の試作品を孫さんが

日本のメーカーに売り込みに行くところから始まります。

 

大企業からほとんど相手にされなかった孫さんは、大阪の弁理士会に電話し、シャープに詳しい特許事務所を紹介してもらうことに成功しました。

当時シャープの技術本部長であった佐々木専務は、この機械にも孫さんの真剣な顔、眼差しを見て、この男にかけてみよう!と惚れ込みました。

その結果、特許の契約金として4000万円が支払われ、さらにドイツ語とフランス語版の翻訳ソフトの開発を依頼され、契約料の合計はなんと一億円までになりました。

 

学生でありながら自動翻訳機を開発し、アメリカから日本の大企業のメーカーに売り込みに行く熱意、また断られても諦めない気持ちは本当に尊敬に値します。

 

そして、佐々木さんは孫さんの内面に秘めた強烈な意志が見え、いまどきの若者にはないほど考え方が着実でしっかりしている、また、学生ではあるが、経営に対する考えがきちんとしていることを感じたことから、この当時の孫さんがいかにしっかりしていたかが伝わってきました。

 

 

64〜69

 

 

第一部 4異端児 〜 9結婚行進曲

 

この章では、孫さんがホーリー・ネームズ・カレッジに入学したところから書かれています。

 

この大学での試験前、たいていの学生は学校のテストをおそれるなか、孫さんは悪性のインフルエンザにもかかわらず、嬉しくてたまらなく、このときの試験はいままでの最高点、オールAの成績を取りました。

 

また、大学時代に夜食を学生に安く提供するビジネスを始めたり、親の負担を減らすため、仕送りを断り、1ヶ月に100万円以上稼げる仕事はないかと考えた時に、発明をすればいいと思いつき、真剣に発明するために行動を起こしたりしました。

 

その結果、台湾人のホン・ルーと協力し、翻訳機の試作機が完成しました。

この完成した記念すべき日は、結婚式の日でもありましたが、孫さんはまさかの忘れてしまいます。

 

1週間後に再度結婚式の日を予約しますが、翻訳機のことを考えていたらまた結婚式のことを忘れてしまい、遅刻しますが、何とか交渉して無事結婚式をあげることに成功しました。

 

普通の大学生であれば、アルバイトをしたり、サークルを楽しんだり、旅行に行ったりすることに時間を費やしますが、孫さんの時間を無駄にすることなく、ビジネスや発明に没頭する姿に圧倒されました。

 

 

また、結婚式さえ忘れてしまう集中力を持っている孫さんもすごいですが、2度も結婚式に遅刻しても許してくれる寛容な奥さんが素晴らしいと感じました。

 

32〜63

 

 

第一部 1 男の出発 2 飛び級 3人生の衝撃

 

 この章では、主にアメリカでの孫少年について書かれています。

 

少年は、4週間のアメリカでの語学研修で、アメリカの学生が、国籍を気にせず、人とぶつかり合うことを目の当たりにし、高校をやめて、アメリカに行くことを決意します。

 

 

 

アメリカの高校でレベルが低いと感じた少年は校長に飛び級できないかと交渉し、さらに五日間猛勉強した結果、わずか三週間で高校を終えました。

 

 

 

日本では考えられないスピードで高校を卒業できることには本当に驚きました。

もちろんアメリカの制度もありますが、孫少年のトイレでも教科書を手放さないで猛勉強したという努力がこの結果を出したのだと思います。

 

 

 

私は、浪人中、自分の中で無我夢中で勉強したと思ってましたが、甘かったことを実感しました。

 

 

ただ、勉強は嫌いではないので、

大学生の間に一生懸命勉強する期間を作ろうかなと思っています。

 

 

 

 

16〜32

 

 

第一部 序 〜正夢〜

 

これから井上篤夫氏が書いた「孫正義正伝 完全版」を読んで思ったことをこのブログに書いていこうと思います。

 

 

 

孫正義

この男は誰もが知るソフトバンクグループの創業者であり、日本の実業家です。

 

そんな孫正義氏の人生は

挫折からはじまったそうです。

 

そもそも孫氏は在日韓国人三世であり、

家が貧しかったため、

祖父母や父母が一生懸命に働いている姿を見て、

「いつか、みんなを楽にさせてやりたい。この泥沼からがんばって、少しでも日の目が見られるようになってやる。」

と孫少年は心に決めたといいます。

 

幼い頃はサッカーに夢中になるガキ大将だった孫少年が小学二年生の一年間だけ、外ではいっさい遊ばなくなった理由が、

「自習をするともらえる桜のマークをもらうための勉強」でした。

 

内容を問わず、なんでもいいから勉強すればサクラのマークをつけてくれると知った孫少年が必死に勉強した私も気持ちはよく分かります。

 

なぜなら、私も小学生の頃、

孫少年と同じように、シールを少しでも増やしたいという思いで、自習や読書に励んでいたからです。

 

ただ、父から

「ひょっとするとおまえは天才じゃないか」「日本で一番だ」

「おまえは本物になる」

と、全力で褒められ、

いつしか自分でもそうかもしれないと思い込み、いったん信じたらどこまでも突き進んでいく性格が形成されていった孫少年に対して、

私は褒められることもなければ、

自分に自信を持つこともなく、

ただただ普通に育ちました(笑)

 

このように、幼い頃にいた環境や、

かけられる言葉は、

成長していく過程に大きく影響することを改めて実感しました。

 

 

また、印象的だったのは、

「デジタル情報産業でナンバーワンになる。そのインフラ提供者になりたい。それが一貫して変わらないことなんです」

という孫正義氏の言葉でした。

 

孫氏の人生において、一つの軸をしっかり持ちながら生きていることが伝わり、

なあなあに生きている自分が嫌になりそうです、、、。

 

 

みなさんは何か自分の中に軸はありますか?

 

私はこれから自分の軸を探していきたいと

思います!!!